公的医療保険の歴史について

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【はじめに】
現在日本国内には、日本国民と長期滞在の外国人およそ1億2700万人以上の方が暮らしているといわれています。その方々の日々の健康をカバーする公的医療保険制度には、「職域医療保険」と「地域保健(国民健康保険)」の二つの柱があります。
この公的医療保険制度には、どのような歴史背景があるのでしょうか?
この記事では、公的医療保険のさらなる理解を深めるべく歴史から紐解いて行きたいと思います。

【職域保険のはじまり】

1920年以前の医療保険と生命保険は、民間企業の「民間共済組合」と、公務員については「官業共済組合」から提供されていました。この2つの組合への加入は任意で、給付金の金額や掛金率なども個人差があったようです。

1922年に健康保険法が制定され、1927年、「民間共済組合」と「官業共済組合」の2つが、現在の日本政府主導の「職域保険」に移行しています。これによって従業員を10人以上雇用している企業は、健康保険に加入し、サービスを受けることが義務づけられています。当初政府はまだ安定しておらず、あまりよいはじまりとは言えなかったようですが、軍事面の労働力確保の目的もあり、のちに勢いを増すかたちとなりました。

1934年には、職域保険制度は、当初の従業員10人以上の企業への加入義務から5人以上の従業員を雇用する企業へと拡大していき、現在の職域保険(大きな企業の社員や公務員向けの健康保険・中小企業の社員向け健康保険)へと段階を経て確立していきました。

【国民皆保険の成り立ち】

20世紀以前から地域保健は、定例(条例)という形式で存在していました。
しかし現在の地域保健である国民健康保険制度が確立したのは、1938年厚生省(現厚生労働省)の設立と、国民健康保険法の成立後となります。

第2次世界大戦中、国民健康保険は運営困難な状態となり、1956年時点で、全国民のおよそ3分の1が未加入という状況でした。その2年後、国民健康保険法が改正され、日本の全地域において地域保健制度の設立が義務化されました。

そして1961年、ついに国民皆保険を達成し、日本に住むすべての人が「いつでも」「どこでも」「何度でも」医療を受けられるようになりました。

【まとめ】

いかがでしたか?今回は公的医療保険制度の成り立ちで、「職域医療保険」と「地域保健(国民健康保険)」の歴史についてご紹介しました。公的医療保険の歴史は戦争中の困難な時期を経て、現在では「国民皆保険制度」の確立によって、どんな状況の人も何度でも医療を受けられる世界一の医療保険制度となっています。

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