医療保険の歴史とは?現在までの歩み

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はじめに

日本は「国民皆保険」で全ての国民が公的医療保険に入ります。
そのおかげで本来払う医療費の3割の自己負担で済むことができます。この医療保険はどのように日本では始まったのでしょうか。
今回はその歴史について見ていきましょう。

医療保険の始まり

1920年代より前では保険は民間共済組合、官業共済組合などの任意保険でした。
しかし、1914年に始まった第一次世界大戦の影響で日本の工業が急速に発展していく中、もっとしっかりした保険を求める労働者たちが声を上げ始めました。
1922年「健康保険法」が制定され、10人以上の従業員がいる企業は健康保険を従業員に提供することが義務付けられます。
それから保険は1927年に政府主導の職域保険の形へ移行していき、1934年には対象となる従業員数は5人以上となります。

軍事政策としての保険

しかし始めの「健康保険法」での対象者はごくわずかでした
ほとんどの国民は農業や漁業でようやく生計を立てている状況であり、とても苦しい生活をしていました。
そういった人々は病気やケガをしてもほとんど治療を受けられず、亡くなってしまうことも多くありました。
その中、軍事大国を目指していた日本は1人でも多くの兵士を確保するため、1938年多くの人が加入できる「国民健康保険法」を(まだ任意ながらも)成立させます。
しかし、太平洋戦争が激化すると空襲による医療施設破壊や軍事下の物資不足で制度は成り立たなくなっていきます。

医療保険の確立

戦後1948年、国民健康保険の実施主体を国保組合から市町村へ移行します。
1956年はまだ日本の約3分の1の人々は医療保険に加入しておらず、1958年に国民健康保険法は改正されて、全ての市町村で地域保健制度を設立することが義務化されます。
そして1961年「国民皆保険」は達成されました。

始めのころ国民健康保険の給付は医療費の5割でしたが、1968年に7割となるなど医療費の負担割合は何度か調整されます。
国民皆保険になったことで医療費は高騰しましたが日本は高度経済成長期に入り、それを補うことができました。
1973年、70歳以上の高齢者の医療費が無料化。
しかしそのための支出は膨れ上がり、高度経済成長期も終わりを迎え、1982年「老人保健法」が制定され、再び高齢者も医療費を少額負担することになります。

時代の変化や課題を抱え

1997年、介護保険法が成立。
65歳以上および加齢に伴う病気を患う40歳以上を対象とした医療(治療)以外の介護サービスも保障されるようになりました。
高齢化社会で膨らむ医療費のため、2006年に制定された医療制度改革では高齢者の負担増など医療費を抑える政策も実施されるなど、医療保険制度も難しいかじ取りを迫られています。
2018年には国民健康保険の財政は市町村から都道府県の運営へと変更されました。

これからも医療保険制度を持続するためには国の政策も重要ですが、全て任せるだけではどんな政策を決められても文句はいえません。
国民があらためて自分自身や家族の医療保険制度について関心を持つことも必要になってくるでしょう。

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