- 2020-4-6
- 医療保険

はじめに
国民皆保険とは、国民全員が全国どこでも少ない自己負担で平等に医療が受けられるよう、なんらかの「公的医療保険」に加入しましょうという制度です。
それらはいつ、どのようにかたち作られたのでしょうか?
歴史でみる国民皆保険の成り立ち
現行の公的医療保険は「日本国民と日本国内の長期滞在者のほぼ全て」を保障する”世界最高レベルの医療保険”となっています。
日本初の医療保険は、第一次世界大戦以後の1922年に制定され、1927年に施行された「職域の被用者保険」
元は鉱山労働な特定の「危険な事業に就く労働者組合」から始まったこの制度ですが、まだまだ加入率は低い状況でした。
当時の農家は非常に貧しく、家族の誰かが大病を患ったとしても、医療費が払えないため、”一家心中”や”娘の身売り”がまかり通っていたといいます。
しかし、農家が立ち行かなくなれば、都市部への食糧の供給も滞ります。
都市部の台所事情が苦しくなると、軍の兵隊の健康維持も難しくなっていきます。
つまり、国民皆保険制度が”始まるきっかけ”は、「富国強兵政策」でした。
軍事政権まっただなかの日本で、兵力の衰退が意味することはすなわち「国の衰退」。
そこで貧しくても医療が受けられるよう、国民全員を対象とした「国民健康保険法」です。(1938年に制定)
しかし時は第二次世界大戦の時代。
国民健康保険の導入は困難を極めます。
また、各自治体で任意に設立・運営されていたため「全ての国民に医療を普及する」には程遠いものでした。
戦後になっても、1956年の時点では日本の人口のおよそ3分の1が医療保険に未加入の状態。
この状況を受け、2年後の1958年には既存の国民健康保険法が改正され、全ての市町村における地域保険制度の設立が義務化されます。
この改正が後押しとなり、1961年に「国民皆保険」が達成されました。
戦争の影響
第二次世界大戦は国民生活、国民経済に大きな被害をもたらしました。
医療もまた同様です。
戦災で多くの医療施設が破壊・閉鎖され、医療従事者の不足や食糧・医薬品・衛生材料の不足と相まって、戦後の医療施設の状況は悲惨なものでした。
厚生省(当時)は、1945年に国立病院・国立療養所として国民一般に開放。
医療機関の不足を補うという点で重要な意味を持っていました。
国庫補助を各公立病院・各公的医療機関・各診療所に拡大しその後、朝鮮戦争を契機とする経済の回復に加え、地方公共団体などにおける病院建設機運の高まりもあって、年々病院の整備が進められました。
その他の公的医療機関も徐々に復興・発展していきます。