時代と共に見る、日本の年金制度の歴史

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はじめに

年金は国民が安定的に生活を行えるよう、老齢・障害・死亡など、必要に応じて給付を行う「社会保障」です。
年金には「国民年金」「厚生年金」「共済年金」と三種類ありますが、これらの歴史について少し書いていきたいと思います。
・・・正直、年金の歴史について全く関心のなかった私ですが、その時代背景や出来事を交えながら知ると不思議と面白いものです。
さて日本においての年金制度の幕開けは、職業によって別々に、また今の年金のいわゆる「二階建て」の部分から始まっているのが特徴的です。

年金の歴史

年金という社会保障制度の祖となったものは軍人のためのものでした。
時代は1875年(明治8年)で、侍の世から近代化を進める真っ只中、激動の時代です。
のちに公務に携わる職域にも枠が広げられ1923年「恩給法」が制定されます。

日本は第一次世界大戦で好景気に沸きます。それが終わると、ヨーロッパの商品がアジアに戻ってきて今までのようにモノが売れなくなります。戦後恐慌とよばれるものです。
その後、関東大震災による大打撃・金融恐慌と、さらに追い打ちがかかり、もうボロボロ。そんな日本にトドメを刺すかのように世界恐慌の大波が押し寄せるのです。
大混乱・大不況の中、恩給が保障されている公務員に対して国民は強い反発をしました。そのため、1933年に恩給法は改正されて給付は抑制されました。ちなみに後に共済年金となる前身がこの恩給法です。

厚生年金の発端は船員に対するものでした。1939年に制定された船員保険です。
周囲が海に囲まれている日本にとって、船員は重要かつ特殊な職業と位置付けられていました。これを皮切りに他労働者達の年金制度も整備しようという動きが始まり、1941年に男性労働者を対象とした「労働年金保険」が創立。
日中戦争の中で、こうした社会保障政策に当時政権を握っていた軍部は難色を見せたものの、労働者を安心させ生産性を高めることが戦力の拡充にもつながると厚生省が説得をしたといいます。
さらに1944年に厚生年金保険に改称されると、対象が職員や女性にも拡大されました。

このように労働者を対象とした年金制度はあったものの自営業者を対象とする年金制度はなく、まだ不十分なものでした。

第二次世界大戦後、家庭形態の変化と老齢人口の増加を背景に、地域住民に対する年金制度の要望が高まりを見せます。
1959年に国民年金法が制定されると、2年後の1961年に国民年金制度が発足し「国民皆年金」が確立。国民年金はその名の通り全国民が加入する年金制度となりました。

ちなみに、1950年に勃発した朝鮮戦争により特需景気が発生すると日本は不況から脱却します。幾度かの景気後退を繰り返しながら、神武景気・岩戸景気・オリンピック景気・いざなぎ景気という4つの好景気によって、日本は高度経済成長期を迎えるのです。

1985年には高齢化社会においても健全で安定した年金制度にするため抜本的改革が行われ、国民年金は国民共通の基礎年金を支給する制度に改められます。

現在の公的年金において国民年金が実施された1961年、基礎年金制度が実施された1985年は年金額を計算する際に基準となることがあるため、特に重要な年といえるでしょう。

さいごに

かつての日本の家庭では祖父母・親夫婦・息子夫婦・その子供と、多世代同居の大家族が一般的で、家族は社会を構成する一番基礎的なものでした。
こうした大家族は、生活を維持するため・教育をするため・病気を患った時の扶助など、様々な役割を担っていたのです。
工業化が進み、第二次・第三次産業が盛んになる高度経済成長期から、家庭形態は大きく変化しました。
無縁社会といわれることもある現代、それが本当に良かったことなのかについては個人的にもう少し調べてみたいところです。

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